いつからだろう?
おしゃべりなわたしが静かに…そこに寄り添うようになったのは?
テレビはつけっぱなしで…部屋のなかは賑やかなのに、深深とした空気。
その男は言葉を持たなくて…知らないのではなくて、自分の想いを伝えるツールとして用いない。それだけ。
自分の想いは伝えなくては相手に届かない。
言葉は大切。
言葉と行為と行動で…豊かな表情で…メールの活字は冷たいよ。
世間一般では「言わなくても解れ」は男の言い訳。面倒を回避したいだけのずるい言い分。
わたしがどんなに泣いても攻めても詰っても…言葉が欲しい。と行為が欲しい。と、激昂しても、せがんでも、男はわたしに言葉を与えることはなかった。
その代わり、わたしの激昂や辛辣な言葉に気分を害したり、売り言葉に書い言葉でわたしを傷つけることもしなかった。
そして、言葉で想いを伝えない理由さえも言わない。
わたしが男の想いを導きだす。導きだせる。男のわたしへの接し方がそうさせる。揺るがずその信念を(もう信念というほかない(大汗))貫き通したのだった。
言葉を尽くすことは大切だ。
でも…sinさまとわたしの関係において、時として言葉はすれ違いを呼んでしまう。
それほどまで、わたし達には物質的な距離があったのだ。
わたしはその距離に意地を張ってしまっていたのだ。
そして世間一般の既成概念「想いは言葉をもって伝えなくては伝わらない。」それをしないのはどこかに「嘘」があるから。
自分以外を信じることは容易ではない。でもなぜか?一般論に心は粟立つものなのだ。
心の距離を近づけさせるのは「言葉」ではない。
もちろん言葉はとても有効な、想いを伝える手段なのだ。
想いを紡いだ言葉が溶けてなくなる前に、行為に繋げて行動がまた言葉の後押しをする。カノンのように…心地よく。
物質的な距離が近ければ、言葉は充分に関係を深めてくれる。想いを満たすという方法で…。
わたしは安心したかったのだ。sinさまの口からわたしを想うことばを聞くことで、逢えない寂しさが報われると本気で考えていた。
なによりわたしを好きなら、そう言葉にして欲しかった、強い意思表示としての行為が欲しかった。
まるで地獄の餓鬼みたいに卑しくsinさまの気持ちを求めたのだった。
独り善がり。
わたしは言葉のないsinさまに苛立ち、心をざわざわと波打たせ…その反面sinさまを想う気持ちはいつも心地よくわたしを満たした。
それが不思議で不思議でならなかった。
sinさまを想うときの幸福感は、sinさまがわたしを想ってくださっていることを、わたしが心で感じていたしるし。
その気持ちを素直に受け容れられてたら、こんなに遠回りはしなかったのにね?
何年もこの男から逃げたい解放されたいと切望し、哀願してきた。
何度も何度も同じ気持ちで躓いた。
sinさまの異変は昨年の春あたりから兆候を見せていた。
わたしはそれに気づくことができなかった。
あの12月。sinさまが、無を欲しられて尚わたしを求められたとき、はじめて己の浅はかさとsinさまのご自分の牝への強い想いを知ったのだった。
もう遅いかもしれない。
わたしは間に合わなかったかもしれない。
恐怖に慄いた夜をわたしは忘れない。
もう何があっても逃げないと決めた。
sinさまに飼われるようになってから、ずっとどんなときもわたしを見守ることで支えてくださった。
だからわたしも、sinさまから離れない。その足許に静かにまるくなって、sinさまの心が無から色彩を取り戻すのを待つことにしたのだった。
春になって唐突にそのときはやってきて、また3か月たって、その先は当たり前みたいに2か月。
いつの間にかわたしの心に迷いがなくなっていて・・・ひたすらsinさまの美しい手がわたしを撫でるのを待ち焦がれたけれど、わたしと同じにsinさまもわたしを求めているお気持ちが伝わってきた。
言葉は相変わらずないし、メールには愛情表現もいやらしく身悶えさせるような言葉もなかった。
それでもメールの活字には柔らかく穏やかで、強い意思表示を感じた。
そして最近はメールにわたしが求めて已まなかった言葉がちらり。ほらり。
永かったなぁ。
言葉ではなく心で繋がることがsinさまが望まれた関係。
sinさまは、わたしならきっと解る。と、ふたりの関係を導きだせると・・・そう信じてらしたのだなぁ。
そして・・・これからも尚…。
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おしゃべりなわたしが静かに…そこに寄り添うようになったのは?
テレビはつけっぱなしで…部屋のなかは賑やかなのに、深深とした空気。
その男は言葉を持たなくて…知らないのではなくて、自分の想いを伝えるツールとして用いない。それだけ。
自分の想いは伝えなくては相手に届かない。
言葉は大切。
言葉と行為と行動で…豊かな表情で…メールの活字は冷たいよ。
世間一般では「言わなくても解れ」は男の言い訳。面倒を回避したいだけのずるい言い分。
わたしがどんなに泣いても攻めても詰っても…言葉が欲しい。と行為が欲しい。と、激昂しても、せがんでも、男はわたしに言葉を与えることはなかった。
その代わり、わたしの激昂や辛辣な言葉に気分を害したり、売り言葉に書い言葉でわたしを傷つけることもしなかった。
そして、言葉で想いを伝えない理由さえも言わない。
わたしが男の想いを導きだす。導きだせる。男のわたしへの接し方がそうさせる。揺るがずその信念を(もう信念というほかない(大汗))貫き通したのだった。
言葉を尽くすことは大切だ。
でも…sinさまとわたしの関係において、時として言葉はすれ違いを呼んでしまう。
それほどまで、わたし達には物質的な距離があったのだ。
わたしはその距離に意地を張ってしまっていたのだ。
そして世間一般の既成概念「想いは言葉をもって伝えなくては伝わらない。」それをしないのはどこかに「嘘」があるから。
自分以外を信じることは容易ではない。でもなぜか?一般論に心は粟立つものなのだ。
心の距離を近づけさせるのは「言葉」ではない。
もちろん言葉はとても有効な、想いを伝える手段なのだ。
想いを紡いだ言葉が溶けてなくなる前に、行為に繋げて行動がまた言葉の後押しをする。カノンのように…心地よく。
物質的な距離が近ければ、言葉は充分に関係を深めてくれる。想いを満たすという方法で…。
わたしは安心したかったのだ。sinさまの口からわたしを想うことばを聞くことで、逢えない寂しさが報われると本気で考えていた。
なによりわたしを好きなら、そう言葉にして欲しかった、強い意思表示としての行為が欲しかった。
まるで地獄の餓鬼みたいに卑しくsinさまの気持ちを求めたのだった。
独り善がり。
わたしは言葉のないsinさまに苛立ち、心をざわざわと波打たせ…その反面sinさまを想う気持ちはいつも心地よくわたしを満たした。
それが不思議で不思議でならなかった。
sinさまを想うときの幸福感は、sinさまがわたしを想ってくださっていることを、わたしが心で感じていたしるし。
その気持ちを素直に受け容れられてたら、こんなに遠回りはしなかったのにね?
何年もこの男から逃げたい解放されたいと切望し、哀願してきた。
何度も何度も同じ気持ちで躓いた。
sinさまの異変は昨年の春あたりから兆候を見せていた。
わたしはそれに気づくことができなかった。
あの12月。sinさまが、無を欲しられて尚わたしを求められたとき、はじめて己の浅はかさとsinさまのご自分の牝への強い想いを知ったのだった。
もう遅いかもしれない。
わたしは間に合わなかったかもしれない。
恐怖に慄いた夜をわたしは忘れない。
もう何があっても逃げないと決めた。
sinさまに飼われるようになってから、ずっとどんなときもわたしを見守ることで支えてくださった。
だからわたしも、sinさまから離れない。その足許に静かにまるくなって、sinさまの心が無から色彩を取り戻すのを待つことにしたのだった。
春になって唐突にそのときはやってきて、また3か月たって、その先は当たり前みたいに2か月。
いつの間にかわたしの心に迷いがなくなっていて・・・ひたすらsinさまの美しい手がわたしを撫でるのを待ち焦がれたけれど、わたしと同じにsinさまもわたしを求めているお気持ちが伝わってきた。
言葉は相変わらずないし、メールには愛情表現もいやらしく身悶えさせるような言葉もなかった。
それでもメールの活字には柔らかく穏やかで、強い意思表示を感じた。
そして最近はメールにわたしが求めて已まなかった言葉がちらり。ほらり。
永かったなぁ。
言葉ではなく心で繋がることがsinさまが望まれた関係。
sinさまは、わたしならきっと解る。と、ふたりの関係を導きだせると・・・そう信じてらしたのだなぁ。
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