ふたり(8月雑記)
Category: ご主人さまのわたしからmineへ(2014年8月雑記)
8月はわたしにとってとても大切な月だ。
昨日のエントリーにも書いたけれど、このすれ違いでわたし達ははじめて傷つけあった。
それがご主人さまとわたしの間にあった、主従と言う形式の囲いをなくしたのだった。
わたしは普段ご主人さまのことを、「ご主人さま」とは呼んでいない。
それは、このブログでも再三書いている。
わたしはご主人さまのもので、ご主人さまの変態性欲を満たす淫らな牝だ。
「ご主人さま」と、と実際にお呼びしたこともないが、sinさまと声に出してお呼びするようになったのも、実は最近だ。
言葉のないご主人さまの傍らにいて、お名前を呼んで振り向いていただく必要がなかったのだ。
でも、わたしは今意識的に「sinさま」と、お呼びしている。
敬称はわたしの敬いの気持ちの表れで、これは公の場(食事やデートの席)でも、変わりはない。
ご主人さまと、言うのはわたしのSMに対する憧れの凝縮のようなもので、ご主人さまはご主人さまではなく、ただの男だ。
強いて言うなら変態性欲をわたしで満たす男。
わたしと言うご自分が躾てきた小さな存在が、いやらしく身悶えしながら、ご自分のちんぽを欲しがり全部の穴から淫汁を垂れ流し、白痴的に乱れ狂う牝が、精一杯両手を広げて、愛情を欲しがり、泣いたり喚いたり・・・甘えたり擦り寄ってくるわたしが、ご主人さまにとって「ただの牝」から、大切に飼い躾、そして豊かな関係を育む相手として意識してくださるようになった。
無機質なご主人さまのお心が、わたしを飼い触れることで少し人間味をおびてきた。
そしてわたしは生きる指針を得た。
このブログもいつまでも、SM主従の憧れの象徴に、ひたっているわけにはいかない。
さて、8月。
わたしにとって大切な月。
このブログもわたしにとって大切な場所になっている。
どうやらこのブログも岐路に立っている。
まず最初は、そうだなこのブログで、小さなわたしを温める大きな存在であった「ご主人さま」を、「ご主人さま」と呼ぶのはもうやめよう。
わたし達は、お互いの変態性欲を満たしあい、慈しみあうふたりだから。
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昨日のエントリーにも書いたけれど、このすれ違いでわたし達ははじめて傷つけあった。
それがご主人さまとわたしの間にあった、主従と言う形式の囲いをなくしたのだった。
わたしは普段ご主人さまのことを、「ご主人さま」とは呼んでいない。
それは、このブログでも再三書いている。
わたしはご主人さまのもので、ご主人さまの変態性欲を満たす淫らな牝だ。
「ご主人さま」と、と実際にお呼びしたこともないが、sinさまと声に出してお呼びするようになったのも、実は最近だ。
言葉のないご主人さまの傍らにいて、お名前を呼んで振り向いていただく必要がなかったのだ。
でも、わたしは今意識的に「sinさま」と、お呼びしている。
敬称はわたしの敬いの気持ちの表れで、これは公の場(食事やデートの席)でも、変わりはない。
ご主人さまと、言うのはわたしのSMに対する憧れの凝縮のようなもので、ご主人さまはご主人さまではなく、ただの男だ。
強いて言うなら変態性欲をわたしで満たす男。
わたしと言うご自分が躾てきた小さな存在が、いやらしく身悶えしながら、ご自分のちんぽを欲しがり全部の穴から淫汁を垂れ流し、白痴的に乱れ狂う牝が、精一杯両手を広げて、愛情を欲しがり、泣いたり喚いたり・・・甘えたり擦り寄ってくるわたしが、ご主人さまにとって「ただの牝」から、大切に飼い躾、そして豊かな関係を育む相手として意識してくださるようになった。
無機質なご主人さまのお心が、わたしを飼い触れることで少し人間味をおびてきた。
そしてわたしは生きる指針を得た。
このブログもいつまでも、SM主従の憧れの象徴に、ひたっているわけにはいかない。
さて、8月。
わたしにとって大切な月。
このブログもわたしにとって大切な場所になっている。
どうやらこのブログも岐路に立っている。
まず最初は、そうだなこのブログで、小さなわたしを温める大きな存在であった「ご主人さま」を、「ご主人さま」と呼ぶのはもうやめよう。
わたし達は、お互いの変態性欲を満たしあい、慈しみあうふたりだから。
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